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2009年01月24日

ケータイが日本を救う!

ケータイが日本を救う! 塚本潔 著 2000年 宝島社新書 
この本では2000年当時のケータイの進化が描かれている。現代では当たり前のインターネット機能や音楽を聴く機能が当時ではものすごい発明だったことがわかる。また、本書の『二〇一〇年のビジョン』という項では今では当然のようについてるテレビ電話機能に需要があるか模索しているドコモ担当者の話が出ている。
読み始めて当時の最新携帯について書かれているのを見て、相当昔のことのように感じ、裏表紙を見て2000年の本だとしり、約10年でここまで進化したことに驚き、また、これからもいろんな機能が付加されていくことを考えると、その中でどれだけ本当に必要なものが残るのかという疑問ももった。  


Posted by 安谷屋 邦尚 at 12:13Comments(0)読書

2009年01月13日

プロレタリア文学はものすごい

プロレタリア文学はものすごい 荒俣博 平凡社新書
 この本では労働者兼作家という立場から必ず資本家階級について言及するような本を書かなければならない作家達の著書を、この本の著者が独自の視点でプロレタリア文学の面白さを発見する。たとえば小林多喜二の蟹工船には労働者が監督に酷使され、疲れ果てていく様子を生生しく描いているところから、「プロレタリア文学の名を借りたホラー小説」だとしている。
 私はこれまでプロレタリア文学と呼ばれるものにお堅いイメージを抱いていたのだが、この本を読んで、プロレタリア文学の持つ「お堅い」一面以外の面を見ることができ、イメージが変わった。また、著者である荒俣さんの知識の深さに驚いた。  


Posted by 安谷屋 邦尚 at 00:46Comments(0)読書

2008年12月17日

ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊

ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊 正高 信男 著 中公新書2003年
 この本では都心を我が物顔で闊歩し、ところかまわずケータイをいじる若者と、彼らを作り出した原因を家族制度の変化、さらには明治維新に男性中心で女性はそれに従属するという論理を民法に反映したところにあるとしている。この民法により性差が生まれ、家庭が裕福になるにつれて母親は働かなくてもよくなり、その代わりに父親は働き続けることになる。すると子供と直接接するのは母親だけになり、母親が接するのも子供だけとなる。家族関係と公空間に出る機会を失ってしまった子供は公空間に出るのを拒み、「家の中」に引きこもるか、公空間も「家の中」として行動するかのどちらかになる。著者が「ケータイを持ったサル」としているのは後者である。サルもまた公空間を持たないということで現代の若者を「サル」と呼んでいるのだろう。
しかし、実際にこのような状態をもたらしているのはもっといろんな要素が絡んでいるのではないか?サルを見ると常に一匹母ザルが子供を抱いてまさに依存しているように見える。このような環境に必要な存在は父ではなく、兄弟だと思う。年が違えばかかわる環境も変わり、考え方も異なるはず。母も一人当たりに依存する時間は減るし、その分公空間に出て行きやすくなると思う。
  


Posted by 安谷屋 邦尚 at 18:24Comments(0)読書

2008年12月14日

「男という不安」 小浜逸郎 PHP新書

この本のタイトルにある「男の不安」を女性と男性の性質の違いからあぶりだしている。たとえば、中年男性の場合、結婚して家庭を持ち、子供ができると家族を生活させるために一心不乱に働き、生活費を稼ぐ。「家族のために」働いているのにたまの休みに家にいると、子供は母親ばかりになつき、父親の居場所は無くなってしまっている。すると父親は自分の居場所が無くなり、何のために働いているのかもわからなくなってしまう。だから中年男性の自殺率が高まっているのである。

著者は男性にも女性にも偏らない視点でこの本を書いているように感じた。今の社会は男尊女卑の是正が行き過ぎて、逆に男性の居場所が減らされている気がする。その中で、著者の意見はどちらにも偏らない本当の平等に近い気がした。  


Posted by 安谷屋 邦尚 at 12:31Comments(0)読書

2008年11月19日

「グーグルに勝つ広告モデル-マスメディアは必要か-」

「グーグルに勝つ広告モデル-マスメディアは必要か-」(著:岡本一郎 光文社新書 2008年5月)
従来からあるテレビ・ラジオ・新聞・雑誌のマスメディアがネットが普及していく現代で、ネットに対してどのような欠点、または長所を持ち、ネットがますます広まっていくであろう未来に生き残っていくためにはどのような方法をとれば良いかが書かれている。
タイトルにあるグーグルに勝つ広告モデルについて書かれているのかと思ったが、この本ではネット全体に対してのマスメディアの今後が書かれており、おそらくネットの代表としてグーグルを挙げたものだと思う。
従来のマスメディアが大衆に向けて数打ちゃ当たるの戦法で広告を出していたのに対し、これからは大衆を調査・細分化し、それに合わせて広告を打っていかなければネット社会に生き残っていくことはできない。
グーグルによってもたらされた新たな情報ツールであるインターネットが世界中に広まったことで、広告業界も変化しなければ生き残りが難しくなっていくだろう。
  


Posted by 安谷屋 邦尚 at 13:29Comments(1)読書

2008年11月19日

間違いだらけのエコ生活」

「間違いだらけのエコ生活」 (著:武田邦彦 夫婦と生活社 2008年9月)
レジ袋の有料化やペットボトルのリサイクルなどの身近なものから温暖化に対する誤解や本当の原因などの世界的なものまで、「エコ」というものに対する誤解について書かれている。
 その誤解の多くが政府や一部企業の金儲けのために作りだされ、エコ生活を守る一般の市民が損をするという構図が成り立ってしまっていることをわかりやすく説明されており、難しい印象を受けていた環境問題に対し理解が深まった。
また、温暖化や異常気象は長い歴史でみればそれほど重大な事態ではなく、むしろ温暖化に至っては食糧の育ちやすい環境になって食糧危機が解決するのではないかと書かれてあり、何が本当に危ないのかわからなくなった。
  


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2008年11月19日

「国家の品格」 (著:藤原正彦 新潮新書 2005年11月)

著者の海外での教授時代を経て、現代の日本経済の低迷の原因は「国家の品格」の欠如だと訴え、世界を救えるのはかつての日本人のような情緒であるとして、諸外国のようなには無い情緒の大切さと日本という国の素晴らしさを記している。

内容は筋が通っていて読みやすいものだったが、著者の主観のみで書かれた印象を受けた。
この本で語られているかつての日本人の情緒などの大切さなどには納得がいったが、ただ単に外国を批判し、「我が国は素晴らしい!!」と言っているようにしか見えなかった。
また、本文中で「論理だけでは限界がある」などと述べているが、日本も過去に愛国心が暴走し、大きな過ち(第二次世界大戦など)を犯してきたのだから、愛国心などの情緒だけでなく、それを制御するための論理も必要ではないかと思った。
  


Posted by 安谷屋 邦尚 at 13:25Comments(0)読書

2008年11月19日

居住福祉法学の構想 吉田邦彦 著 東信堂 2006

居住は高度なものになれば、医療・福祉施設の代わりにもなり、医療や福祉に掛かる費用を減らすことになる。この本では、このような住宅としての居住空間だけでなく、寺社などの福祉的効果を紹介している。たとえば、寺社では、お年寄りにとって一番の健康法である「歩く」ことを、足腰が弱ってくるとなかなか実践できなくなってしまう。そこで、昔の人々は小高い丘にお年寄りの信仰の対象となる仏像を据え、目的を作ることで自発的に歩かせると同時に、仏像に手を合わせることで「心」の安らぎを得ることができる。また、寺社には露店や健康相談の窓口もあり、コミュニケーションの場ともなっている。このほかにも山間部に住む高齢者に薬や子供たちの手紙を届けるサービスや離島のお年寄りのためのデイケア専用の船を出している地域もある。
 高齢化が進む中、昔ながらのお年寄りになじみの深い建物を中心に福祉の輪が広がってることを感じた。  


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2008年11月01日

「学力低下」の実態

「学力低下」の実態 刈谷・志水・清水・諸田共著 2002年 岩波ブックレット

「ゆとり教育」の名のもとに実施された学習内容の三割削減、子供たちの学ぶ意欲・関心を重視した新指導要領はその目的を達成できたか?
この本では達成はできてないとしている。そもそも学ぶ意欲は基礎学力のレベルが高い子供が持つものであり、「学ぶ意欲」の基となる学習内容を削減してしまうのでは、本末転倒である。
文部科学省は「できる子供」の育成の前に確かな学力を持った子供を育成するべきであり、確かな学力を持つ子供を育成できれば目的である「学ぶ意欲」を持つ子供も自然と発生するだろう。  


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2008年10月21日

学力を問い直す

「学力を問い直す-学びのカリキュラムへ-」(岩波ブックレットNO.548 佐藤学 著 2001年)
(概要)
文部科学省が推進する「ゆとり教育」の一環として2002年度から実施された学習内容の三割削減の影響で子供の学力低下が叫ばれている。しかし、それは誤解であり、学習していない範囲を省けば子供の学力はさほど低下しておらず、逆に年齢を重ねていくごとに学力が低下している傾向にある。子供の中でも、「読み・書き・算」などの基礎学力では上位だが、それらを応用する問題で昔に比べると正解率が下がっている。世界的に見ても、日本の学力は順位は落ちているものの、トップレベルにあることは変わっていない。しかし、自宅学習の減少や勉強に対する熱意の低下が著しい。これを解決するためには、基礎学力を「読み・書き・算」などを反復練習によって獲得することとして設定するのではなく、「読み・書き・算」を応用していくことを重視することが大切であり、教科書を子供の学びへの興味を誘うようなものにするべきである。

(感想)
ゆとり教育は教育内容を削減することで子供の興味を削いでしまったことをこの本で知った。学力低下を防ぐためには昔のようなただ単に知識を詰め込む教育に戻すのではなく、子供の興味を誘い、それを持続させる新しい教育内容を考え、実施するべきだと感じた。  


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2008年07月07日

日本版スローシティ

2008/07/04
日本版スローシティ
久繁 哲之介 著

三年次 安谷屋 邦尚

 日本の多くの地域では欧米と日本とのライフスタイルの違いに気づかず欧米の目に見える・論理で説明可能な部分を「模倣」するだけで地域の特性を生かしたまちづくりができていない。その一方で、地域の特性を生かし、スポーツや物語を中心としたまちづくりに成功している地域もある。
(概要)
1、日本のまちづくりの失敗
 まちづくりは本来住民のライフスタイルに合わせて行われるべき。
→しかし、欧米の成功例ばかりに目が行き、欧米のまちづくりをそのまま模倣。
→日本のライフスタイルにそぐわないまちづくりが行われ、日本人にとって居心地の良くない場所となる。
原因:日本と欧米のライフスタイルの違い。
欧米→余暇をカップルか家族と過ごす習慣があり、町中にも行動の場が多い。
日本→その習慣はあまりみられず、カップルがそれぞれゴルフ場や国内外の観光地へ出かけていく。そのため街中に行動の場が少ない。
2、活性化したまちづくりの為に
欧米のように地方にあっても活性化した都市を創るためには、高価値の発言を積極的に取り入れ、西欧のような地元スポーツクラブを中心としたまちづくりを行い、地域固有の文化・物語の発掘・創出を行うべきである。
物語をまちづくりに活用させる際に重要になるのが一次消費後、二次消費を誘発することである。そのためには大衆に物語を一回は消費させる必要がある。ここで問題となるのが物語を保有していないからといってすでに成功しているキャラクターを用いることである。これでは一時期の人気はでるがそれは一過性のものであり、長続きしない。他ですでに成功したキャラクターを安易に取り込むのではなく、小さな評判・信頼を地道にはぐくむことが大事である。また、街を活性化させる為には、街中ストリートの人為的バリアを排除し、単なる目的地間を移動するためのルートにならないよう、市民が主体的に参加できるイベントやパフォーマンスを行うべきである。
4、公園に見られるスローシティ精神
日本の公園:「芝生に入るな」等の禁止事項が多い。
ニューヨークの公園:芝生と歩道は分けられているが、可動式のチェアを用意し、自由に好きな場所を歩き、好きな場所に座ることができる。→市民ライフスタイル実現。それにより市民は満たされた表情を浮かべ、都市空間に愛着を持ち、都市の活性化につながる。
(論点)
・この本で述べられた方法をすべての都市が実践したとすると、それは均質化ではないか。それとも上手く各地域の特色がでて個性的な街ばかりになるのか。
以上
  


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2008年07月07日

ナウシカとタエ子、それぞれの矛盾

2008/06/13
二章 ナウシカとタエ子、それぞれの矛盾
三年次 安谷屋 邦尚

 映画のラストにおいて拍手やブーイングが起きるのは海外では当然の事だが日本でそれがほとんど無いのは礼儀正しいからだとされている。しかし、映画に対して意思表示をすることが礼儀であり、意思表示する事によって作品も良くなっていく。
ここでは作者の二つの作品に対する意思表示をまとめてみる。

(概要)
●「おもひでぽろぽろ」
1、「おもひでぽろぽろ」についてとその二つの大きな破綻
「流産に終った傑作」、「何らかの間違いで台無しになった野心作」=「偉大な失敗作」
「偉大な失敗作」を生み出す原因→「過剰な誠実さ」

「おもひで」の二つの大きな破綻
 映画の構成における破綻
 テーマの論理的破綻


 映画の構成における破綻
現在と過去の場面が異なった画調で描かれる→二つの場面が分裂したような印象を与える。
何故このような描き方をしたか?
→本筋である現在の部分が付け足しであるから。
何故原作に無い部分を本筋としたのか?
→監督には原作に矛盾した感情があったからである。
「レトロ気分を満たす為の映画を作りたくない」
    正反対の主張
「どのようなかたちであれ、過去を振り返る事は(自己確立)のための悪くない第一歩のはずだ」

 テーマの論理的破綻
・レトロ気分よりも自己確立に有効な手段として「人間の営みの根本」である「農業」、「農村」を用意する。
・しかし、「自然の脅威にさらされながら自然から奪い、もらい、それを食べて生きる」事が「人間の営みの根本」であるなら狩猟・採集こそが「人間の営みの根本」ではないか。

戦後民主主義=日本の伝統的・封建的なものを否定する思想。
村などの前近代的共同体は個人の自由を抑圧するものとして否定されるべき。
高畑は若者のレトロ気分を苦々しく思いつつ、農村への憧れも似たようなものだと気づいていたのではないか。
だから「レトロ気分を満たす為の映画を作りたくない」としながら、「どのようなかたちであれ、過去を振り返る事は(自己確立)のための悪くない第一歩のはずだ」という正反対の主張をしてしまったのだ。←「過剰な誠実さ」

●「風の谷のナウシカ」について
1、宮崎によるナウシカの正当化
・風の谷→腐海の毒に冒されて死んでいく運命を甘受して生きている。
・風の谷の隣国トルメキア→巨神兵で腐海を焼き払おうと目論む。

・司令官クシャナは族長・ジルを殺してしまう。←クシャナを悪役に仕立て上げるための手段。
2、ナウシカの矛盾
ナウシカがもし人間の事を思うのであれば、クシャナ同様腐海を焼き払おうとするべきだし、それに反対するのであれば、人間が腐海に呑み込まれて滅ぼされても仕方ないという立場をとるべきだが、ナウシカはどっちつかずの駄々っ子のような態度を取ったことにより、ナウシカは矛盾を抱える。
大海嘯を食い止る手段
 クシャナ:巨神兵を使って王蟲を焼き払う。一時は成功と思われたが結局失敗。
 ナウシカ:王蟲をおびき出すために使われた傷ついた幼虫を救い、一緒に群れの前に立ちはだかるだけというもの。クシャナのとった方法より確実性の点で明らかに劣っていたが奇跡的に成功。

→宮崎はヒューマニズムと環境保護を両立させようとして映画を崩壊させたのである。
3、二つの作品の破綻の原因
人間の特徴:「自分自身の環境を作り上げ、その環境のコントロール能力を自然から奪い取ろう」というもの→人間は本質的に反自然的な存在なのである。
農村共同体も彼等の技術水準が許す範囲で最大限自然を制御し、自然を支配したがっている。
高畑や宮崎の農村への憧れは基本的には戦後民主主義を信奉し、かつ前近代的な農村共同体に憧れるという屈折したものであり、農村共同体では個人の自立も可能であると信じている。しかし、環境保護を反ヒューマニズムだと認めることは農村共同体にはヒューマニズムが無いということに等しく、つまり農村共同体には個人の自立も無いという結論を導いてしまう。国家の存在を直視できないという戦後民主主義の特性こそが、これら「集団主義的戦後民主主義者」たちに国家に関わる統合枠としての農村への憧れを引き起こしているのだから、問題の根源はやはり戦後民主主義なのである。

(論点)
 この二人の監督は自分の理想を描いた映画が大衆に受け入れられると考えていたのであろうか。それともただ自分の理想を描くためだけに映画をつくったのか。
 実際に環境保護とヒューマニズムを両立させることはやはり不可能なのか。

以上
  


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2008年07月07日

グーグル・アマゾン化する社会

2008/06/28
グーグル・アマゾン化する社会
森 健 著

三年次 安谷屋 邦尚

本書では情報や金などが一部に集まっていく一極集中という現象と、この現象の問題点や原因が述べられており、一極集中の二大巨頭として検索サイトのグーグル、ネット通販のアマゾンが挙げられている。

(概要)
1、web1.0からweb2.0へ
 今まではソフトをダウンロードしなければ使えなかった機能をウェブページ上で使用する。
 検索エンジンが発達し、検索することで遠い国の出来事も知ることができる。
 映画やテレビ番組の視聴

web1.0:ユーザーは提供されたコンテンツをただ受け取るのみ。
web2.0:ユーザー自らがコンテンツを提供できるようになった。「ユーザー参加型」。例→you tube、ウィキペディア等

2、Amazon
 ワンクリック特許(p96):予め住所等を登録しておけばワンクリックで購入決済が完了できる。
 サーチ・インサイド(p96 ):本の中に含まれている言葉を検索する事により該当ページを読むことができる。
 リコメンデーション機能(p98):ある商品を購入しようとする、もしくはそのページを閲覧したユーザーに関連商品を勧める機能。
 アフィリエイト・システム(p102):アマゾン以外のサイトに商品ページのリンクを張り、そこで売れた分の手数料を払うシステム。
 カスタマーレビュー(p109):商品購入者による書評・感想。
等のウェブ技術の開発によりネット通販の代表的存在に。
3、Google
 従来との検索における計算方法の違い
 従来の検索方法→検索に使われたキーワード(クエリ―)が1ページあたり多く含まれるサイトが上位に表示。
 グーグルの「ページランク」→多くのサイト、もしくは信頼度が高いサイトにリンクが張られているサイトを上位に表示。

グーグルの収入源
 アドワーズ→グーグルで検索した際のクエリ―とキーワードが一致した際に表示される広告。
 アドセンス→第三者のウェブページにグーグルが配信する広告。
グーグルのフリーメールではメールの内容に合わせて広告が表示される。これは内容からキーワードを検出し自動でデータベースから表示しているのである。
高機能で使いやすいソフトを配信し続けるのはユーザーにグーグルを利用してもらう為である。人々が利用すればするほどグーグルに情報と富が一極集中してゆく。

4 、一極集中する社会
ロングテールビジネスで成功できる企業→アマゾンやグーグルなどの巨大な事業スケールを持ち、ハブとなって多くの人が訪れる企業。
巨大な企業スケールをもたない企業→ロングテールビジネスで成功できず、埋もれて行く。

ウェブで得られる情報が増えることで多くの意見に触れる機会が増えた。

一部の発言力のある人物の意見や多数派の意見に触れる。

同意見の場合:より勢力を増して発言
反対意見の場合:議論や論争を避けて沈黙

web2.0の時代になってウェブページが増え、重要度が高いとされるページ=ハブが閲覧されることが増え、ハブでないページが一目に触れる事はどんどん減っていくだろう。そうなっていくと、意見を形成する情報にハブの影響を大きく受けた主体性がない意見になる危険性がある。一方で誰もが情報発信できるようになることで、専門知識を披露する人が増え、今までその知識を得ることが難しかった人も簡単に得ることが可能になった。
多くの意見が交わされる社会になったからこそ、その意見を認知しつつ、自分の意見をしっかりもつことが重要である。

(論点)
 グーグルの収入源は検索に伴う広告事業であるが、著者の言うように検索自体を有料(p.126)にしなかったのは、検索を無料にすることでユーザーを増やし、ユーザーが増えれば増えるほど広告収入が増加すると考えたからではないか。
 このまま一極集中が進んで行けば、いつかは中心的存在以外の存在は埋もれて行き、ただ中心だけが存在する単一な社会が来るのではないか。
 その単一な社会は大きな危険を孕んでいるのではないか。

以上
  


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2008年06月08日

デカップリングは嘘じゃない

2008年4月25日
デカップリングは嘘じゃない(要約)
061107H 安谷屋 邦尚

世界はアメリカの経済不振の後を追っているように思えるが、その認識は誤りで、世界が日本の「失われた10年」をいかに軽々と乗り越えたかを思い出すべきである。当時、日本が経済不振に陥っているとき世界の株式市場の大半は上昇し、特に日本を除くアジアの成長率が世界全体のそれを上回っていた。当時の日本に比べて現在のアメリカは巨大な貿易赤字を出し、世界経済にとってマイナス要因であり、アメリカは危機をまかなう資金を海外からまかなっている。いっそ貸出を拒否してしまったほうが世界経済の受ける傷は少なくて済むだろう。

以上
  


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2008年06月08日

サブプライムで無傷 のろまなカメの利益

2008年4月25日
サブプライムで無傷 のろまなカメの利益(要約)
061107H 安谷屋 邦尚

最近のヨーロッパではサブプライム危機の犠牲になり、スイスやフランスの大手銀行が大きな損失を出している。そんな中、スペインやイタリア、ドイツの一部の銀行ではこの危機の被害を概ね免れてきている。それは先見性と健全な規制によるものだけでは無く、用心深い文化、別の見方で言うと革新への対応が遅かったので危機を免れたとも言われている。それに対し、業績を伸ばそうとした中堅企業がこの危機で逆に大きな損失を出してしまっている。

以上
  


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2008年06月08日

Ⅱ ロックの時代の終焉とポピュラー音楽の産業化

2008/06/06
Ⅱ ロックの時代の終焉とポピュラー音楽の産業化
三年次 安谷屋 邦尚


(概要)
1、音楽の産業化
70年代は多くのポピュラー音楽研究が登場する次期だが、その反面ロックミュージックが初期の反抗的な荒々しい熱を失い、巨大な産業へゆっくり回収されていく時期でもある。このことがよく表れているのがイーグルスの「ホテルカリフォルニア」の歌詞に「69年以来スピリットを置いていません」という一節があり、この「スピリット」には「酒」と「魂」の二つの意味が掛けられており、ロック「スピリット」の黄昏を意味するものである。
さらに70年代中ごろには「産業ロック」、「商業ロック」と揶揄されながら多くのメガヒットアルバムが生まれ、その過程で60年代ロックに見られた政治的身振りや巨大産業化するロックビジネスへの疑いはほとんど消え去っていった。
この産業化の影響を受けたのはロックだけではない。
ジャズではフリージャズのようなラディカルな喧噪は70年代に鳴りを潜め、代わりに耳当たりの良い音楽が都市のBGMとなった。
また、ブラック・ミュージックではジェームス・ブラウンのような性的過剰さとブラックナショナリズムも反人種主義も衰退し、代わりに享楽的・個人主義的なディスコサウンドが台頭した。
ロックを代表とするポピュラー音楽の巨大ビジネス化、ブラック・ミュージックのディスコ化は資本の再編成の表と裏で、それが片方では「ロックの終焉」、「R&Bの死」として現れた。

2、日本の音楽の変容
60年代~70年代初頭では日本のポピュラー音楽には、英米圏のロックバンドのような影響力を持つロックバンドが日本にはいなかった。当時、ロックを英語でやる、日本語でやるかの議論があった。この「邦楽としてのロック」、「洋楽としてのロック」の対立は逆に言えばロックがまだ日本の音楽として定着していなかった表れでもある。
日本では時代の気分を反映しつつ、若者たちの支持を集めていたのはロックではなく、フォークであった。しかしそのフォークの政治性も70年代には急激に衰えた。それは、吉田拓郎の「結婚しようよ」の大ヒットにより、「金のなる音楽」として商業主義の中に回収されてしまったからである。
さらにフォークの〈貧乏くささ〉や内向性を一掃したニューミュージックブームの到来し、このニューミュージックの消費社会の礼賛によって60年代的政治意識は完全に消去されてしまう。
60年代~70年代の変化を象徴的にしているのがアイドルの登場である。その中でも歌手としての生命線である歌唱力の無いヴィジュアル中心のアイドルの登場で、視覚的な特質がポピュラー音楽のウリになったことを印象付けた。
ポピュラー音楽の変化は楽曲の内在的な変化だけでなく、音楽を取り巻く社会や政治の変化、若者のライフスタイルの変化、消費社会という新しい時代の到来や、その全体の構造を支える経済の変化によって理解されるべきである。

3、音楽産業の変化
レコードプレイヤー、ステレオの普及、LPレコードの一般化により音楽産業は飛躍的に発展、その構造を決定的に変化。
ある特定のコンセプトの下にLPを作成するコンセプトアルバムの登場により、LP=クラシックという意識を変化させ、ロックファンにもLPの重要性を認識させた。
60年代はロックスターがいた時代だったが、70年にはその印象が無い。
何故か?
 60年代当時、レコード一枚一枚がそれなりの重みを持っていた事。
 音楽産業がゆっくり細分化し、世代や趣味によって細かくターゲットが分化されたことにより、それぞれのジャンルに分かれたファン同士の交流が減り、万人共通のスターが誕生しなかった。
 70年代には多くのビッググループが生まれたが、その中にカリスマ的存在となるグループがいなかった。
ある聴取層を切り捨て、世代固有の趣味に特化した音楽を作ることは、商業主義を否定することでは無く、結果的により多くのレコードを売るための戦略であった。

4、資本主義の強さ
68~73年(オイルショック)の時期は、政治・経済・文化を巡る大規模な地殻変動の時期であった。このころに、産業構造が第二次から第三次産業へと変化した。この産業の変化で、60年代までオーディオ機器を売るための販売促進的な存在であった音楽ソフトの70年代には市場の拡大のおかげでハード産業からの独立を促した。
また、この頃行われたウッドストックは次のような結果を生みだした。
 音楽に世の中を変える力があることを示したが、一方でロックが巨大産業になってしまったことを決定的にした。
 ウッドストックの伝説化により、企画者に多額の映画収入が入り、参加ミュージシャンのギャラが高騰した事で、反商業主義を掲げたロックフェスティバルがまさにその精神が商品に変えられる事を学び、資本主義のしたたかさを証明する事になった。

5、ポスト・フォーディズム的生産様式
フォーディズム(=一定の基礎知識さえあれば誰でも労働に従事でき、労働を効率化、大量生産の仕組みを提供するもの)からポスト・フォーディズムへの移行は、物質的産業から情報やメディア等の非物質的な産業への移行を示している。しかし、これで製造業が無くなるわけではなく、製造業の中心に非物質的労働が分かちがたく入ってくる事である。
これにはトヨタがいい例で、生産過程の徹底的な効率化・過剰在庫を抱えないように最大限の情報管理とマーケティングを行いつつ、世界に分散した各工場の品質管理の徹底というのがトヨタの戦略である。
ポスト・フォーディズムにおいて、労働と余暇の区分が融解、工場という物質的な生産拠点から労働者を解放する代わりに、絶えず精神的に労働に束縛される。このなかで音楽はどのような位置づけになっているのか?
→ロックは、ファッションと同じように季節ごとのモードになり、その瞬間ごとに消費されるものになった。
音楽産業の労働者は非物質的生産様式の典型的な労働者であり、彼等の創造活動がかつての芸術家のそれと違うのはこれが100%経済活動に結びついているところである。また、この創造的な活動があらゆる労働の理想的なモデルとなった。

(論点)
 60年代では、レコード一枚一枚がそれなりの重みを持っていた事で、手に入らないものに対する憧れがあり、そこからスターが生まれた。
 今現在私たちが聞いてる音楽は全て資本主義の支配下にあるのか。
 以上
  


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2008年06月08日

子会社上場の三つのデメリット

2008/05/06
子会社上場の三つのデメリット
安谷屋 邦尚

TCIというイギリスのファンドがJパワーに攻撃を仕掛けている。
日本では、一つの企業の部門を子会社として設立し、上場した後も親会社の支配下にある場合が少なくない。子会社を上場することで企業は、事業創業の報酬としての上場益を得る等の多くのメリットを得る事ができるが、その反面、デメリットも大きく、その中でもアクティビストの存在が大きな問題になっている。アクティビストが株主提案で事業撤退を要求することで、名指しされた部門で働く人々の意欲をくじく可能性があり、実質的な損害を与えてしまう。これを恐れて、子会社上場という政策がとられなくなると、そのメリットを考えると産業全体に大きなマイナスとなる。
アクティビストに対する良い規制方法を考えなければ、「株主栄えて企業は滅ぶ」という事になりかねない。
以上
  


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2008年06月08日

「自分探しが止まらない」第三章 自分探しが食い物にされる社会

2008/05/31
第三章 自分探しが食い物にされる社会
安谷屋 邦尚

(概要)
1、自分探しビジネス
自分探しに迷い出た若者を待っていたのは彼等が持っている願望をうまく囲い込み、彼等から金を巻き上げようとするビジネスであった。
例えば、大都市を離れ、沖縄などで長期滞在を目論む若者が多く利用するのが、農家や牧場等に住み込みで働き、最低限の賃金を貰うというのが「ボラバイト」というものである。この「ボラバイト」を食い物にしているのがビーチロックハウスという格安の宿泊施設である。ここでの運営スタッフは寝る場所と食事は用意されるものの、完全無給である。ビーチロックハウスでは働き手も客も自分探しの若者である。客が沖縄を目指してやってくる限りいくらでも金を落とし、しかも働き手はほとんどボランティアのようなものである。経営者はこの利益を自分の遊び場を作るために利用しようとした。

2、芸人から路上詩人、NGO代表へ
吉本芸人であった軌保はやりたいことが見つかった事を理由に芸人を辞めた。そのやりたい事とは、映画であった。その資金集めを自ら行うが資金は集まらず、映画の話は頓挫し、更に借金をする。その借金を返すために始めたのが地べたに座り、墨と筆で頭に浮かんだ事を色紙に書き、それを売るという自分探しが止まらないこの時代ならではの職業である。その収入で借金を返し、さらには念願の映画を作成する事に成功した。軌保は次にNGOを組織し、環境保全に関する小冊子を発行し配布する運動を始めるが、この運動にはいくつかの問題があり、その一つが募金にまつわる不透明な点である。その不透明性が疑問視され、ネットで詐欺ではないかと話題になった。その他にも、この小冊子の発行部数の3000万部という根拠のない数字も問題であった。案の定配りきれず300万部の在庫を生んでしまった。環境保全を訴える小冊子が紙の無駄遣い、環境破壊の極致となったのである。

3、共同出版ビジネス
自分探しの若者を利用したビジネスに、共同出版という物がある。新風舎という出版社ではいくつかのコンテストを開催する。しかしそのコンテストは一次・二次審査まではほとんど通過するのだが、その大半は最終選考で落とされる。そこで新風舎は落選者に連絡を取り、共同出版を持ちかける。この費用は150~200万円ほどかかる。落選者も二次まで通ったことで自信を持ち、共同出版に手を出すが、出版されても実際には少数の店舗に一か月ほど店頭に並ぶだけである。これでトラブルになり裁判を起こすケースもあるが、出版社を擁護する人も少なくない。それは出版社を否定する事すなわち自分の作品が認められた事自体を否定する事になるからである。自分の可能性にチャレンジしたい、という気持ちを搾取する構造が共同出版ビジネスの根幹にある。

4、感情労働
感情労働とは従事する相手の機嫌を損ねないように感情の移入を必要とする労働作業の事を意味する。居酒屋の店員などもこれに分類されるが、ある居酒屋では朝礼で前向きなメッセージを大声で喋らせるなどの徹底的なポジティブシンキングを促している。この手法は自己啓発セミナーと同じものである。企業が従業員に自己啓発を強いる理由は、安い賃金で目いっぱい働かせる事、この一点である。


(論点)
1、 ビーチロックハウスのスタッフは無給状態でも何も文句を言わないのだろうか。
2、 若者は金儲けに利用されている事に気付いていないのか。それとも気づいているのか。それでも付いていく理由は何だろうか。

以上
  


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2008年06月08日

巡り会えない異国の「我が子」

2008/06/06
巡り会えない異国の「我が子」
三年次 安谷屋 邦尚

 様々な理由で親を亡くした孤児と子供が出来ない等の理由から養子を欲しがるカップルを救う国際養子縁組という制度がある。しかし、この制度には規制強化や金儲けに利用される等、様々な問題が取り巻いている。この問題についてまとめてみたい。

(概要)
・国際養子縁組の減少とその理由
●国際養子受け入れ上位五カ国(米・スペイン・フランス・イタリア・カナダ)に引き取られる国際養子の数→最盛期(04年)に比べ10%減。
●米では3000人余りの減。

理由
 ロシアや中国の生活水準向上による国際養子の供給の減少。
→その一方で、経済発展から取り残された国では国際養子縁組の果たす割合は大きい。
 韓国では少子化の傾向があり、労働力の流出を懸念。
→国民を流出させないよう国内の養子縁組を奨励する優遇制度や助成金等の措置を導入。これにより、国際養子の数を国内養子の数が上回る。
 児童売買の問題。
→児童売買ビジネス=スラムや貧しい農村からわずかな金で子供を引き取り、あるいはさらい、莫大な料金で国外の養親希望者に売り飛ばすというもの。
・国際養子縁組の問題の対応策
ハーグ条約の誕生。
内容
◆営利目的の養子縁組を法律で禁止
◆養親希望者の審査の厳格化
◆ソーシャルワーカーや養子斡旋業者を厳しく監視
◆実の親の同意が無い国際養子の禁止
※子供の人権侵害を無くす効果を発揮するかもしれないが、その反面、孤児が養護施設から出られる日が遠のく原因にもなっている。
・まとめ
国際養子縁組が全ての問題を解決するわけではないが、世界の孤児がそれぞれの国で幸せに育てられる日が来るまでの対応策となりうるのは事実である。

(論点)
・子供がいない親が国内では無く国外に養子を求めるのは何故か。
・有名歌手や大女優が国際養子の受け手になっている事で、それを真似るという軽い気持ちでの国際養子縁組が増えているのではないか。
以上
  


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2008年06月08日

今そこにある世界食糧危機

2008年4月25日
今そこにある世界食糧危機(要約)
061107H 安谷屋 邦尚

通常なら6月初めに雨が降り、東アジアの国々に必要な食糧をもたらす。もしこの時期がずれてしまうとインドでは穀物の生産量は20%、量にして3000万tの不足が生まれる。
オーストラリアでの干ばつ、バイオ燃料への穀物の転用等が現在の食糧危機の原因となっており、この危機に対して余剰のある国は備蓄管理を厳しくし、輸入に頼る国は争うように確保しようとする。この流通の抑制と買いだめが必要以上に問題を悪化させ、さらに供給不足まで引き起こしている。この供給不足の影響を受けるのは所得が低い貧しい国である。また、この供給不足価格上昇の影響を受けるのがアフリカ諸国である。これらの国では輸入量は減っているにも関わらず、支払う金額が増えてしまっている。
インドや中国が自国で穀物が調達できず、世界市場で調達するようになると世界中の穀物を食いつぶす事態になってしまう。
この事態を避ける為にこれらの地域に世界的な経済援助を行うべきである。

以上
  


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