2008年06月08日

Ⅱ ロックの時代の終焉とポピュラー音楽の産業化

2008/06/06
Ⅱ ロックの時代の終焉とポピュラー音楽の産業化
三年次 安谷屋 邦尚


(概要)
1、音楽の産業化
70年代は多くのポピュラー音楽研究が登場する次期だが、その反面ロックミュージックが初期の反抗的な荒々しい熱を失い、巨大な産業へゆっくり回収されていく時期でもある。このことがよく表れているのがイーグルスの「ホテルカリフォルニア」の歌詞に「69年以来スピリットを置いていません」という一節があり、この「スピリット」には「酒」と「魂」の二つの意味が掛けられており、ロック「スピリット」の黄昏を意味するものである。
さらに70年代中ごろには「産業ロック」、「商業ロック」と揶揄されながら多くのメガヒットアルバムが生まれ、その過程で60年代ロックに見られた政治的身振りや巨大産業化するロックビジネスへの疑いはほとんど消え去っていった。
この産業化の影響を受けたのはロックだけではない。
ジャズではフリージャズのようなラディカルな喧噪は70年代に鳴りを潜め、代わりに耳当たりの良い音楽が都市のBGMとなった。
また、ブラック・ミュージックではジェームス・ブラウンのような性的過剰さとブラックナショナリズムも反人種主義も衰退し、代わりに享楽的・個人主義的なディスコサウンドが台頭した。
ロックを代表とするポピュラー音楽の巨大ビジネス化、ブラック・ミュージックのディスコ化は資本の再編成の表と裏で、それが片方では「ロックの終焉」、「R&Bの死」として現れた。

2、日本の音楽の変容
60年代~70年代初頭では日本のポピュラー音楽には、英米圏のロックバンドのような影響力を持つロックバンドが日本にはいなかった。当時、ロックを英語でやる、日本語でやるかの議論があった。この「邦楽としてのロック」、「洋楽としてのロック」の対立は逆に言えばロックがまだ日本の音楽として定着していなかった表れでもある。
日本では時代の気分を反映しつつ、若者たちの支持を集めていたのはロックではなく、フォークであった。しかしそのフォークの政治性も70年代には急激に衰えた。それは、吉田拓郎の「結婚しようよ」の大ヒットにより、「金のなる音楽」として商業主義の中に回収されてしまったからである。
さらにフォークの〈貧乏くささ〉や内向性を一掃したニューミュージックブームの到来し、このニューミュージックの消費社会の礼賛によって60年代的政治意識は完全に消去されてしまう。
60年代~70年代の変化を象徴的にしているのがアイドルの登場である。その中でも歌手としての生命線である歌唱力の無いヴィジュアル中心のアイドルの登場で、視覚的な特質がポピュラー音楽のウリになったことを印象付けた。
ポピュラー音楽の変化は楽曲の内在的な変化だけでなく、音楽を取り巻く社会や政治の変化、若者のライフスタイルの変化、消費社会という新しい時代の到来や、その全体の構造を支える経済の変化によって理解されるべきである。

3、音楽産業の変化
レコードプレイヤー、ステレオの普及、LPレコードの一般化により音楽産業は飛躍的に発展、その構造を決定的に変化。
ある特定のコンセプトの下にLPを作成するコンセプトアルバムの登場により、LP=クラシックという意識を変化させ、ロックファンにもLPの重要性を認識させた。
60年代はロックスターがいた時代だったが、70年にはその印象が無い。
何故か?
 60年代当時、レコード一枚一枚がそれなりの重みを持っていた事。
 音楽産業がゆっくり細分化し、世代や趣味によって細かくターゲットが分化されたことにより、それぞれのジャンルに分かれたファン同士の交流が減り、万人共通のスターが誕生しなかった。
 70年代には多くのビッググループが生まれたが、その中にカリスマ的存在となるグループがいなかった。
ある聴取層を切り捨て、世代固有の趣味に特化した音楽を作ることは、商業主義を否定することでは無く、結果的により多くのレコードを売るための戦略であった。

4、資本主義の強さ
68~73年(オイルショック)の時期は、政治・経済・文化を巡る大規模な地殻変動の時期であった。このころに、産業構造が第二次から第三次産業へと変化した。この産業の変化で、60年代までオーディオ機器を売るための販売促進的な存在であった音楽ソフトの70年代には市場の拡大のおかげでハード産業からの独立を促した。
また、この頃行われたウッドストックは次のような結果を生みだした。
 音楽に世の中を変える力があることを示したが、一方でロックが巨大産業になってしまったことを決定的にした。
 ウッドストックの伝説化により、企画者に多額の映画収入が入り、参加ミュージシャンのギャラが高騰した事で、反商業主義を掲げたロックフェスティバルがまさにその精神が商品に変えられる事を学び、資本主義のしたたかさを証明する事になった。

5、ポスト・フォーディズム的生産様式
フォーディズム(=一定の基礎知識さえあれば誰でも労働に従事でき、労働を効率化、大量生産の仕組みを提供するもの)からポスト・フォーディズムへの移行は、物質的産業から情報やメディア等の非物質的な産業への移行を示している。しかし、これで製造業が無くなるわけではなく、製造業の中心に非物質的労働が分かちがたく入ってくる事である。
これにはトヨタがいい例で、生産過程の徹底的な効率化・過剰在庫を抱えないように最大限の情報管理とマーケティングを行いつつ、世界に分散した各工場の品質管理の徹底というのがトヨタの戦略である。
ポスト・フォーディズムにおいて、労働と余暇の区分が融解、工場という物質的な生産拠点から労働者を解放する代わりに、絶えず精神的に労働に束縛される。このなかで音楽はどのような位置づけになっているのか?
→ロックは、ファッションと同じように季節ごとのモードになり、その瞬間ごとに消費されるものになった。
音楽産業の労働者は非物質的生産様式の典型的な労働者であり、彼等の創造活動がかつての芸術家のそれと違うのはこれが100%経済活動に結びついているところである。また、この創造的な活動があらゆる労働の理想的なモデルとなった。

(論点)
 60年代では、レコード一枚一枚がそれなりの重みを持っていた事で、手に入らないものに対する憧れがあり、そこからスターが生まれた。
 今現在私たちが聞いてる音楽は全て資本主義の支配下にあるのか。
 以上


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Posted by 安谷屋 邦尚 at 14:46│Comments(0)レジュメ
 
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